83歳の義母をAUショップまで連れて行った。歩きながら話をしたのだが、途中から義母が歩きながら足がぎこちなく感じると言い始めた。年末から最近まで自宅の中で動いていただけで外を歩くことがなかったため始めて歩いたという感覚だったという。
70歳を過ぎた老人が外出して歩くことを止めたら、必ず足の筋肉量が減っていく。筋肉量が減っていくと自分の体を動かす時に違和感を覚える。それが出やすいのが歩行である。足の筋肉は大きい。その筋肉が衰えると自分の体を支えたり、動かしたりする上で支障が出る。
83歳の義母の足は足のぎこちなさで筋力の低下を表していた。自分の体を不自由なく動かせなくなったら、暗い余生が待っている。自分で自由な行動が出来なくなるという状態を想像してほしい。動物は歩けなくなったら死ぬ。人間は賢いから衰えていった筋肉を鍛えて増やすことができる。生活のリズムの中に足腰の筋肉を鍛える習慣を取り込めば良い。
65歳になって年金をもらい始めた。年金をもらい始めたら残りの人生を働かなくても良いよと政府から言われているような感じがする。今、仕事をやめたら暇で暇で仕方がなくなる。自分で始めたビジネスだから仕事が嫌ではない。むしろ、仕事が趣味になっている。自分の専門分野を深めているので現役として社会に貢献しているという感じがある。
戸惑いと諦めを感じるときは何度もある。このまま今の生活を続けていけるだろうかとか、これから何を目標に行きていくべきか、この生活を私が求めた生活なのかとか、もうどうでも良いやとか、諦めを感じ色々考える。年齢とともに健康に目が行く。朝起きたら左手の中指がばね指になって曲がっている。右手の人差指もばね指になって固まっている。理由はわかっているし、時間の経過で自然治癒していくのもわかっている。
老いと共に残りの人生をどのように過ごしていくべきかいつも考える。1日過ぎるたびに体は精神とともに弱くなっていく感じがする。自問自答をしながら人生の迷いと諦めをなんとかしようとする。
年金を受給し始めて5年が経過している。年金収入がある、無いでは老後の生活は相当変わる。働かなくてもお金が国から銀行口座に振り込まれる。その金額が多ければ多いほど生活の自由度が増す。現在も自営業は続いているので経済的に食べて行く上で何も問題はない。
仕事への戸惑いと諦めは70歳になった今消えている。価値観がシフトした。70歳の声を聞いて人生の終焉が近づいて来ていると感じたからだ。自営業の仕事はいつ辞めても問題がない。生活のリズムを少しづつ変えていっている。仕事は趣味の領域になり、健康維持のための筋トレが生きがいになっている。どんなにお金を稼いでも健康でなければお金を使う楽しみが生まれない。
私の頭の中には健康寿命を伸ばすにはどうしたら良いかで自問自答している。70歳から80歳にかけて肉体に急激な変化が起きることを知っている。普通の生活が80歳まで維持できる体力と筋力、そして、健康があれば90歳まで自活できる肉体になるかもしれない。長生きをしても自活できない体では人生の楽しみを味わえない。お金がたくさんあっても使う楽しみも味わえない。
70歳は人生において大きなシフトポイントである。
ランチで中華料理店に入ると中高年の男性が多い。彼らの姿を見ると多くの中高年は肥満体でお腹が出ている。ランチで注文する量を見てもそれを裏付ける。ライス、料理の大盛りを追加料金で注文している。注文も餃子、ラーメン、チャーハンといった感じで多い。
なぜ、お腹が出て肥満体の中高年になるのかがわかる。
会社の健康診断や人間ドックの診察を受ければ確実に生活習慣病対象者として診断される。そんな肥満体の中高年がその問題に対処しないで年齢が増えていくと徐々に体重が減っていく。体重が減っても見かけはあまり変わらないという現象に見舞われる。
これは加齢による体重減少である。普通の生活をしていると自然と体の筋肉が減少していく。今までと同じ食事量であると体重は変わらないが筋肉量が減り脂肪が増える。見た目の体は変わらないが身体の老化現象はひどくなる。
電車の中でもお腹が出ている中高年を多く見かける。まだ体に筋肉があるから動きや生活面で支障はないように見えるが、体が重いだろうなと思わざるを得ない。
老人になると今まで気にしなかった事が気になる。自分たちの子供の老後は今よりも劣悪になると予想される。それ故に、今子供に親が出来ることは何かを考える。
子供にお金を残す事が本当に良いか疑問が残る。子供は親がいなくなっても今までの親からの教育で自分の生活が出来るように育てられてきたはずだ。就職で実家から独立して一人生活を始めれば、その時点で親から離れて自分の人生が始まる。
だが、親はいつまでたっても子供の事を心配する。親として最後に出来る事は何なんだろうか。
老化に伴い肉体も精神面でも弱くなって行く。働きたくても年齢で働き口がないシニア。あるのは自分のスキルや職歴で身につけた経験が全然生きない3Kの単純労働のみ。まだ元気で自由に動き回れるうちに自分の子供に生き方を教えたいと思うのは私だけであろうか。
パソコンを一生懸命に学習しているシニアがいるが、時代はパソコンよりもスマートフォンに向かっている。1980年代にワープロがOA化の目玉であったがあっという間にパソコンに食べられてしまった。同じような現象が今起きている。一般のユーザーがパソコンで行う作業は、すでにスマートフォンで簡単にできるようになっている。
画面が小さいという問題もスマートフォンをモニターにつなげれば解決する。それが出来るスマートフォンが販売されている。パソコン教室で教えているExcel、Word等のアプリケーションの操作は、企業で働く上で必須になっているが、企業で働いていないシニアがパソコン教室でそのようなアプリケーソンを学ぶ必要はない。
むしろ、自分の実生活で役に立つスマートフォンの操作を学んだほうが価値がある。スマホがパソコンよりも便利なのは”いつでも、どこでも、誰とも、すぐにコミュニケーションが取れる”ことである。
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このページのシニアライター:Norito H.Yoshida
Profile
Joomla CMSを使った法人・個人サイト構築で独立。51歳の時に会社を卒業。雇われる生活から自分を雇う生活になる。ソニー(株)、Yahoo!ジャパン(株)でインターネットビジネスの面白さを味わい、個人でも法人と競争が出来る隙間市場があるのに気が付いた。生涯現役でインターネットの世界で生きて行く。Western Washington University, B.S. in Sociology, Bellingham, Washington, USA.
シニアの生活は、体の老化に従って変わって行く。その体験記をこのブログで書いている。